弟子のSです

武術の稽古日誌

私はすでに死んでいる

師からお借りした『エアマスター』。女の私には鼻白む描写も少なくないが、ひとたびそのハードルを越えてしまうと、イキのいい登場人物たちがひたすら愛おしい。まだ8巻だから先が楽しみ。 それはいいんだが、私が若干納得いかないのは、彼らがいくら戦って相当に顔をやられても、ぐちゃぐちゃの内容は主に鼻血やデコ血で、歯が折れていることが殆どないこと。若いから歯が丈夫なのか。サマにならないという絵的な事情からか。 私は稽古で歯を折ることをとても恐れている。歯を失うことで自分が受ける精神的ダメージは、おそらく鼻血やデコ血の比じゃないと思う。顔貌が損なわれる恐怖というのだろうか。 省みるに、恐怖の本質とは「失うことへの怯え」であろう。失うと思うものがあるから怖い。失うもののない強さというのは、素の身体ひとつで生きておられるような師を見れば一目瞭然だ。 妻がいないとお茶も沸かせない夫、旦那がいないと外貨を獲得できない妻、エースが抜けると潰れる会社、原発が無いと機能できない国、など、何かに依存している構造のものは、そこを叩かれると終わるという時点で、すでに実質死んでいる。 「●●がないと生きていけない」というのはもう死んでいるのだ。 私には歯以外にもいくつか思い当たる「●●」があるけれど、それらがないとどうなるのか、ないと本当に生きられないほど困るのか、よく考えてみよう。 怯えながら組手しても、生きてても、なんでしょう、スカッとしませんからねえ・・・ sakiyama.jpg がんばれー