弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

動く禅と言われる太極拳と、立禅は護身術の稽古で知っているので、ここで座禅を体験してみようと新宿のカルチャーセンターに出かけた。兵庫県にある安泰寺という禅寺の住職さんが来ておられた。曹洞宗の只管打坐(しかんたざ・座禅)と経行(きんひん・歩く禅)とを体験する。経行は一呼吸で足半分だけ進むというもの。1回20〜30分の座禅と歩く禅とを組み合わせて、目は半眼(はんがん)で、正味3時間半ほどの禅体験。きつかった。ひざ小僧にアザができていた。

住職さんのお話は、ふだんから誰かに聞かされているような気がする内容。

「座禅をしても何にもなりません。何でもいいからとにかく座る、ということです」

「いい座りというのは自分がなくなって、自分でない何かに座らされているようになること。究極的には座布の上で死んでもいいと思うこと」

「こうして喋っている私は脳のシナプスが活動しているだけで、そこに固定した私がいるわけではない。次の瞬間には別の私になっています。無常というのはいずれ死ぬというよりも、次の瞬間には別の人間になっているという意味です」

座り始めはいろいろな考えが泡のように浮かんでくるけれど、3時間もたち、座るのに疲れてくると意識がうつろになり、余計なことが考えられなくなる。ただ座っている、という状態のそれが「いい座り」。時とともに自意識が失われてゆき行為そのものになるって、私のカラオケみたいだ。あれも禅なのかなあ。