貪りません勝つまでは
仏教に「女人悟り難し」という言葉があるそうで、師に言われる際の文脈では煩悩・執着・貪りなどが妨げになっているという事のようだ。私などもわりと煩悩の暴走にまかせて生きてきて、欲しいものは全て手に入れ、手に入らなかったものは本当は欲しくなかったのだと心から思える都合の良い性格、なのにと言うか、だからと言うか、まだまだ何かと欲しくてしかたなくて困る。
武術をやって、または年齢を重ねてよかったな、少し変わったなと思うのは長く慣れ親しんだ漫画や映画にまったく別の視点からの解釈や理解が加わった時です。
例えば幕末ものの古典『天まであがれ!』に執着の権化のような人物が出てきます。名は羽林中條風守、実妹頼子への凄まじい執着から人を殺める、狂わすという非道の限りを尽くす男。この人の苦悩、したたる孤独に思いを寄せたことなど今までなかった。苦悩には閾値があって、そこを越えると人間は能面になるのか。しかしいろいろあってラストはこんな感じになります。
愛せなかったるり子の手をとる
執着から放たれ、それまでにない柔らかな表情を見せて風守の物語は終わります。
でも・・女人悟り難し。師も以前「女性が武道、武術で護身の役に立つレベルに達するのは非常に難しい」と書いておられる。しかし師はこうも言われたのだ「白いカラスが一羽でもいれば、カラスは黒いという定説は崩れる」。これが私にはすごいモチベーションになっている。
貪りません。でもいくら頑張っても白いカラスになれなかったらどうしよう
師「なれないまま終わったらいけないの?それってそんなに悪いことですか?」
悪くないけど、でもつらいのやだな