弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

護身術+太極拳+幼児空手+子供空手。

護身術はマッサージから始まった。還暦過ぎてるのにやたら活動的なSKさん夫妻に横になってもらい足のお疲れをとる。姿勢によって相手の体のほぐしたいポイントに適切な自重を載せる。タイ古式マッサージが恋しい。

本編の稽古は「たぐる」。対向し、二の腕から手を滑らせてひじの骨、あるいは手首の骨にひっかけて相手を引き寄せる。手首・ひじ・首元の順で左右からたぐり寄せていき、最後の首にかけた手で相手を倒す。要領に慣れたところで双推手。相手がたぐる動作をし始めたら一動作が終わるまでかけられる、というルール。相手の意図を感知する稽古でもあった。

それから、握手から始まる投げのバリエーション。

・手首から肩までをロックして投げる。

・もう片手を添え、合掌の形で手前に傾けることで相手のかかとが浮いたところを背側に倒す。

・握った手の小指を梃子に、親指で相手の親指を手首側に倒してやることでひざまづかせる。

・相手の手のひらを上向け、三教の要領で腕をロックして上方に持ち上げ、腕で胴を突くように倒す。

太極拳套路の第二段。倒輦猴の用法(つかまれた状態からの腕抜き)。個別の型では左右分脚の腕の動きと蹴りの動きをそれぞれ稽古した。

つづく幼児空手と子供空手については師の稽古日誌に。稽古日には内容から師の意図や考えを推量しつつ日誌を書き、答え合わせとして師の日誌を読むことで一つの稽古としていたのだが、師の作文の方が速いのでついそちらを先に読んでしまう。安直・・ダメ!と思いながらも、私がごちゃごちゃと考えていることがすっきりとまとめられていて「なるほどそういう事をしていたのか」と思う。

空手の時間にもたぐる動きと握手からの技をやった。夏休みのせいか生徒が少なく、私も注意してもらえたのがありがたい。

子供空手の二大巨頭のうちの一人、Kくんと組手できたのがよかった。Kくんの動きには風格がある。風格とは居力、威厳・品位(英語でいうdignity)ともいえるだろうか。動作の表れとしてはゆったりしている。その、かねてよりリスペクトするところの彼と組手する。

私「Kくん本気でやってよ」

Kくん「やってます」(←敬語を使ってくる・・!おとな・・!)

組手で常勝というわけではないKくんだが、風格とは不思議なもので、負けたとしてもゆるがない。(あとで師に話すとそれが強いということです、と言われた。)

彼の風格うんぬんについては私の頭でだけ考えていたことだったが、私との組手を見て師が「Kくんの方が風格がある」と仰ったので、「Kくんには風格がある」がいきなり「私には風格がない」という問題に置き換わった。私の動きはわたわたして無駄な動きが多いという。師にあこがれ、Kくんをリスペクトするこの私の動きがなぜそうなるのか・・。

わたわたせずにゆったり動くとは、相手の攻撃に動じない、多少打たれようと臆せずマイペースを貫き通す、極端にいうと装甲車になることなのかと思いそうになる。それは大間違いなのだが。

稽古後にそのことで座学。

たとえば太極拳の楼膝拗歩には大きく2動作の中に4つの攻守の要素が含まれている。当然のことに、一動作あたりの機能が多いほどゆったりした動きになる。それぞれの動作がどんな機能を持つのか、認識外の領域を認識するつもりで套路は行うこと。漫然とやるなと言われるのはそのためだ。また、

大きくゆったり動いて速い動きに対応するには反射神経や動体視力に頼らず未発の気に応じて動き出すこと、そして間合いを管理することが必要です。

間合いとは間に合うこと、つまり距離だけでなく時間の概念が含まれています。相手の攻撃の速度に対して防御が間に合う距離をとり、自分は相手の防御が間に合わないタイミングに攻撃する、ということが出来ると、ゆっくり大きく動いて少ない手数でも、速い相手を制することが出来ます。

熟練したバッターには速球が止まって見えるというように、時間(および時間が関わる速さというもの)は主観的なものである。鍛錬できる。間合いを時間的なスケールで捉えられるようになるには、ゆっくり組手をする以外にないと言われた。

それから懸案の「あなたと私は同じ」についても話した。私は師と私は違うといい、師は同じと仰る。「なぜ先生は違うものを同じというのか」「なぜSさんは同じものを違うというのか」、平行線なのである。あなたはわからないのではなく、わかりたくないのだと言われた。そうかもしれない。自分と他者が人間として規格を同じくするということ。その重要性を私はとても小さく見積もっているらしい。私のわからないことは、何かものすごく気宇壮大なことのようだ。この話はおそらく稿を改めて。