弟子のSです

武術の稽古日誌

真綿にくるまれて

「喧嘩は相手の胸倉を掴むところから始まる・・」とその方面に詳しそうな瀬尾さんいわく、喧嘩を経験せずに大人になる男はいません(断言)。それを聞いた師も普通に頷いている。瀬尾さんは停学とか処分の気遣いのない卒業式の日に相手をボコボコにする喧嘩をしたというし、師のクラスには水道の蛇口を握った拳で殴ってくる通称「蛇口男」というのがいたそうだ。瀬「そういうものです。それが普通です」師「Sさんは何も見てないんだよ。起きたまま気絶してるんだ」。

この二人の証言だけではサンプルに偏りがありそうだが、過日、夫も「男のすることは結局全部マーキングだ」などと言っていたから、やはり男性諸氏と私とは「常在戦場」感がもとから違うのかも・・・。私は「やらなければやられる」と切実に感じた経験もないし、人と掴み合いの喧嘩をしたこともない。クラスに蛇口男もいなかった(と思う)。

人と渡り合った経験がないではないが、私にとって闘争とはおおむね内的なもので、身柄の安全をめぐって外敵とリアルに戦うものではなかった。しかし実際には自分の身柄は国家とか社会とか特定の個人とか、何かに必ず守られて今の安寧があるわけで、「山のあなたの空遠く、闘争あると人のいう・・」みたいな気分でいるのは鈍感さやナイーブさを曝すようでむしろ恥ずかしい。そんなことだから自分の内面の問題にばかり目がいくのかもしれないし。

つまり何が言いたいかというと(成人男性なら嗜みとして身につけているであろうところの)外敵とのリアルな戦いのプロトコルや経験的知識に全く欠けたところから、自分は武術を始めているということ。女だからか私だからか知らないが、なにしろスポイルされていること。