弟子のSです

武術の稽古日誌

稽古メモ

昨日の稽古に師の知人と、その後輩の方が2人いらした。合気道・空手・柔道のそれぞれ上級者で、迎える側としても興味深い面々であった。
稽古を通して各々の動きや立居振る舞いの違いを知ることができたが、その「キャラ」がもともとの人柄なのか、修めている武術の特徴の表れなのかわからない。師に訊いたら両方でしょうと仰っていた。ならば私も「師の武術」を修めている人らしいキャラになりつつあるのだろう。

相手との接点(末端)を動かさずに体幹のほうを動かす、いわゆるエンドポイントコントロールの動作を、合気道の師範に「よく稽古してますね」と褒めていただき嬉しかった。努力が認められて喜ぶなんてわれながら小物だと思うけれど。。

反省と対策。

・双推手で力に押し切られまいと対抗して、相手にもたれるまずい形になる。鍔迫り合いの局面で「人」の形にならないよう、含胸抜背して腰を落とすこと。教室で単推手するときはできているんだから、私にはできるはずだ。

・体格で劣る相手との座捕りではとりわけ重心を低くしているが、それでももぐられて下からひっくり返されてしまう。亀のポジションで返されずに耐えることはそれなりにできるんだから、相手のタッチを読む解像度を上げて細かく対応していけば防げるはずだ。

・蹴りに対する間合いについて。最適な打点から外れた位置にいて、かつ、適切な受けをしていれば、却って蹴った相手のダメージになると教わる。
ミットで受ける機会を重ねて、正しい打点に差し出すことが少しずつできるようになってきた。正しい打点で受けられるということは、そこを外すこともできる道理だ。

稽古後は「私が強くなるなど到底無理」と落ち込み物質が脳から分泌されて泣きながら家路に着いたが、分泌がおさまると

「強くなることが無理かどうかはさておき、強くなろうとすることはできる。その姿勢をデフォルトとして生きることが、強くある、ということなのではなかろうか」

とおめでたい感じに気を取り直すのだった。
強くなろうというのも「ただそうなりたい」でなく、どんな強さを得ようとするかを、細かく、かつ大局的に考えていくこと。とにかく雑は悪だ。

稽古メモ

2|15|300

300本中15本の組手を終え、うち、Sのポイントは2本。

何を「1本」とカウントするかについて、先日説明を受けた。

1. 文句なしのクリティカルヒット(致命的な一撃)

武術において組手は「競技の練習試合」ではなく「殺法の模擬戦」なのだから、カウントの目安は当然これしかないと私は思っていた。命を取られたらおしまいなんだから、相手が私から1本をなかなか奪えず、疲れたからやめましょう、となれば上出来だと思ってやっている。

説明によると、師が1本にカウントするのはそれだけではないとのこと。他の要素として挙げられるのは、

2. 現時点でのその人のベストの一撃
3. ペナルティとして取られるもの
4. 礼にかなっているかどうか

等々。私が中段突きで師から取った2本は、隙のあった師ご自身のペナルティとしてのカウントだそうである。それなら納得だ。

組手の内容はもちろんだが、何をもって1本とカウントするかも、その人の武術(という思想)の表現といえよう。「何が命を失わせることになるか」。その認識が共有されていない人との間では、だから、組手で勝敗の認識が一致しないこともあると思われる(真に確かめようとすれば人死にが出るからです)。長く言われてきていることだが、ここでもやはり、大切なのは感受性と論理力と想像力なのである。

何はともあれ、思想の表現であるからには、私の場合は「太極拳を修めている人らしい」組手になっていなければ嘘だ。ということで、次回に向けて鋭意改良中。

S-METER

「今年は組手を300本やります」と年初めの稽古で言われ、以来、例によって訳のわからぬまま、コツコツと(?)お会いするたびに3本ずつ師と組手している。

2|12|300

数字の見方は、300本中12本の組手を終え、そのうちの2本をSが取った、ということ。まさかと思われる方が多かろうが、直近の組手で2回、中段に突きが入ったのだ(1本とカウントするほどのダメージを師に与えたとはとても思えないが・・)。一方、取られた10本は、もし師が出力全開だったら不具者になっていたか死んでいたかと思われる10本である。

300回を戦い終えるころ、どんな変化が起きているでしょうか。