弟子のSです

武術の稽古日誌

わかること・感じること

「わかる」んじゃなくて「感じる」ことが要求される体系が東洋にはあります。

Sさんはひとりで大騒ぎしている、とよく師に言われるけれども、確かに私は「心をすます」とか「ゆったり流れる時を楽しむ」とか、水面を波立たせない系の挙動が不得手かもしれない。いつからこんなふうになってしまったのだろう。

その昔、デパートでアートポスターを額装して売るという仕事をしていた。私は絵画では抽象表現が好きだ。バブルの頃だったのでそりゃーよく売れて、接客販売だったので人と話す機会も多かったけれど、抽象絵画についてはお客さんの反応が人によって全然違うのが面白かった。

抽象画がわからない人が販売員に必ずする質問が「これは何ですか?」というもの。わかるように言葉で言い換えること、具象化することを求められる。顔にはもちろん出さなかったけれど、つまんないこと訊くなあ、と思っていた。これはこれだよ、と。

感性だけで事足り、言葉はいらないもの。師の言葉から察するに武術もそういう種類の表現で、ことさらわかろうとしたり、言葉で考えようとしても徒労に終わることが多いものなのかもしれない。なんで武術のことになるとわかろうと頑張ってしまうのか、われながらそれが謎です。

「抽象画を味わうにはどうしたらいいでしょう」ともし人に訊かれたら「わかろうとしない」「味わえるようになるまで待つ」「好きな作品が一つでもあれば、それのどこが好きか考える」とか答えると思うけど・・。実技と鑑賞は違うから難しいな。