弟子のSです

武術の稽古日誌

昨夜のお稽古

中野にて。不覚にも20分以上遅刻してしまった。その間は杖術をしていた模様。先週の金曜日に下敷きになった際、ひじを少し痛そうにしておられた師が何ともない様子なので一安心。

相手を掴まずに、力でぶつからずにリードする稽古。フィットさせて連れていく(=合気)ことによって行う。

向かい合って手をつないでウェーブ。力の波を流れの方向に伝えていく。その要領で双推手。打ち合い。蹴り合い。

社交ダンスのように片手をつなぎ、片手は背に回して相手をリードする。発展させて投げ。最後には背に回した手だけで相手を倒す。

拳による合気上げ・合気下げ。突き。双推手。向かい合って片拳で腹から崩す。広げた両手を向かい合った相手の両肩に当てて崩す。

取られた手首を指を張って取り返す。手のひらでフィットさせて相手をリードする(対手のひら・拳・蹴り)

剣術。組手。

時々ヒートアップしかけて師に「熱中じゃなくて集中」「まわりを見る」と正されもしたが、おおむね、技の出来不出来はともかく「でも・じゃあ」言わずに虚心坦懐に取り組めたと思う。相手と対峙する師の真後ろに立ち、師になったつもりで観察したりした。

兄弟子の動きも観察する。利き腕でない方の手もしっかり働いているのが見てとれ勉強になる。

非力をカバーしようとして力んでしまう悪癖をなんとしても直さないといけない。

疑問は、構えている時は半身(はんみ)でも、双推手や組手になると正面立ちになってしまうこと。半身とは、相手との間合いを取るためにするものなのか?それとも三尖相照を保つためにするのか?前者だったら接近戦では正面立ちでいいのかなと思うけど、後者だったら半身は相手との距離に関係なく常に心掛けなければならないだろう。・・と言ったことを尋ねるつもりが途中から質問がこんがらがって、師の説明にもかかわらず今だ疑問符がついたまま。

帰り道、遠距離恋愛やら中距離恋愛やらでナチュラルに華やぐ師と兄弟子の話に相槌を打ちながら歩く。その後初めて中野の居酒屋に入り、夕食をとる師に同席して小一時間ほどお話を伺った。

16日の記事にいただいたコメントの、私が周りが見えていない件について。思えば、生活していてよく人や物にぶつかるのもそのせいなのかも。師にはSさんに車の運転をさせておくのは危険だとまで言われる。「どうしたらいいんでしょう」「気をつけて生きろとしか言い様がありませんね」。そんな師は稽古中ずっとTシャツを裏返しに、気づいてからもそのまま着ておられた。活殺に関係ない所には気をつけなくていいのだ、という主張が読み取れた。私も色々しっかりしよう。