弟子のSです

武術の稽古日誌

依存について

ちゃんとやらないなら武術に失礼だからやめてくださいと言われた。言われても仕方ない。熱意がないのではなく、私のは間違った熱意なのである。それは師への依存というものである。私は性懲りもなく「ドラえもぅん」「答え教えて〜」とやっている。以前より自覚的にはなったけれど。

依存がなぜ悪いかというと、そのものにとらわれて、自由が失われるからだ。

飲酒や喫煙など、依存の克服には対象とまったく縁を切る、以後一滴も一服も口にしないというアプローチがとられることが多いが、私は摂食障害克服の過程をあてはめて考えようとしている。経験があるし(高校〜大学の3年間過食症を患っていた)、摂食障害には「対象を完全に断つ」でなく「対象と適切な距離を置く」解決策しかないからだ。

医療機関にかからずに、どうやって食べることへの依存から抜けたかというと

・恋愛(新たな関心の対象が現れたことで、依存対象への関心が薄れた)

・実家を離れた(戦中派の母が備蓄する食物に溢れた家を出ることで、依存対象を遠ざけた)

恋愛は偶発的な出来事だったけど、家を出たのは自分でそうするべきだと判断してやった。

でも師には、依存対象を替えるのでは解決にならないと言われていて、その通りだと思う。酒でも食事でもギャンブルでも買い物でも恋人でも、依存する対象は本来その人の味方で、その人の生活を豊かに楽しくしてくれるものだ。味方を敵に回すのは自分のしわざであって、真の敵は自分なのだ。対象を遠ざけるのは対症療法でしかない(しかし短期的にはそれが功を奏することもある)。

人生なにしろ一人で行かなきゃなんだから、一人で行く生き方を考えるだけ。拡大解釈しすぎかもしれないが、それが私の武術だ。自由に面白おかしく生きる生活の知恵。

その方策を抽象的にでなく具体的に、活動しながら考えること。

具体的に考えるヒントは現在の状況の中に示されていること。

わかった状態はわからない状態と断絶していて不可逆であること。

師によれば道教の道(タオ)は自由になる道なんだそうだ。そんなら私はタオイストだ。と、老荘思想を1ナノミクロンも知らない私が言ってみる。理屈ではそうなる。

付記・悩んでいる人が他にもいるだろうと「摂食障害」カテゴリをつくろうかと思いましたが、トップページに字面を並べて常に眺める勇気がないのでやめました。そのへん、まだ克服しきれてないのかもしれません。根深いですね。そういう人にこそ武術が必要なのかもしれないのにね。