弟子のSです

武術の稽古日誌

カフェで働く(完結編)

刺身やおでんやローストビーフが白飯にあわないよね~と言い続けるだけなら誰でもできる。武術は刺身に酢飯を、おでんに茶飯を、ローストビーフにバターライスを合わせていくという作業。

捨己従人とは、戦いの本質は状況と対戦相手によって決定され、主体は自分にないということ。

身辺に変化があり今月いっぱいで辞めることにしたカフェの仕事だが、接客の現場はまさに捨己従人の稽古の場であった。お客さんはリトマス試験紙のようなもので、良いサービスが提供できれば笑顔になりリピーターともなるが、サービスが悪ければ表情は曇り二度とは来店されない。

師の言葉をひくならば「収益を得るために白飯を売りたい」こちらと「白飯が欲しい」お客さんのニーズがマッチしていれば放っておいても先方は笑顔でいてくれる。つまり漬物を持ってくるお客さんに白飯を売るのはたやすい。こちらに落ち度(会計を間違えるとかやたらと待たせるとか)がないかぎり関係は友好的である。

武術の出番は「刺身やおでんやローストビーフ」をたずさえたお客さんが来られた時だ。「白飯を売りたい」こちらと「白飯は欲しくない」お客さんが出合った時どうするか。「うちは白飯を売る店である」「刺身やおでんやローストビーフは白飯に合わない」という事実から(私は合うと思うけど、それは今関係ないので置いといて)、お客様の求めるものは当店では提供できません、と言うのではお客さんが満足しないばかりか収益を得るというこちらの目的にそぐわない。

酢飯にする、茶飯にする、バターライスにする・・・相手に合わせ、白飯だが白飯でないというものを提案して、お客さんにまた来るわと笑顔になっていただく。思えば世界的な食品企業が、売る国によって看板商品の味を微妙に変えるのはよく聞く話。

プロは「できません」「ありません」「わかりません」と言わない。

無理難題を言われたときは「それとはちょっと違うけどこういうものもあるよ。潜在的にあなたが本当に求めているのはこっちだったんじゃないのかな?」というものを出して、相手にそうだったかも、と思わせる。

靴の市場を開拓にアフリカに調査に行ったセールスマンが裸足で暮らす現地の人を見て、一人は「アフリカには靴を履く習慣がないので市場はない」と嘆き、別の一人は「アフリカでは誰も靴を履いていないので市場は無限大だ」と喜んだという。師としたこの話は単なるポジティブシンキング礼賛でない、事実に対処して生き延びるという武術的な示唆に富んでいる。

敵対的、あるいは「自分とは違う文脈で生きている、自分の文脈では測れない他者」との交渉において、どのように場を制するかということ。カフェでは何度か失敗し(というか師に指摘されて上記の認識を得るまでは失敗を失敗と思わずにいた)、何度かは成功した。

戦いの主体が自分にないということは狭くてくつろいだ人間関係の中ではなかなか実感できないので、圧倒的多数の他者と接したこの3か月の体験は私には稀有だったし、学んだことはこれから役立つと思う。

武術をはなれた情緒的なところでは若いスタッフと賑やかに過ごして救われることが多かった。おそらく二度はないカフェでのお勤めを実り多いものにしてくれた彼らとお客さんと師に(順不同)感謝しきり。7月からは新たな生活が始まる。