弟子のSです

武術の稽古日誌

カスタネダ読み終えた

カスタネダドン・ファン本6冊を読了。終わってみれば付箋でいっぱい。神秘的だ、トリッピーだと受け取られ、もてはやされたシリーズらしいが、私にはごく実践的・普遍的な内容に思えた(巻によります)。
「呪術」という言葉が交霊とかその筋の印象を与えるけれど、師ドン・ファンカスタネダに伝えようとするのは人間の認識の多様性とでもいったもの。

私の便宜をはかるために、ドン・ファンは折にふれて自分の知識に名前をつけようとした。彼自身はナワーリズムという名称がいちばん適当だと思っていたが、このことばがやや曖昧すぎることも承知していた。ただ "知識“ と呼ぶのでは漠然としているし、"魔法" といってしまうのも問題がある。"意志の統御" では抽象的すぎるし、"全面的自由の探究“ では長すぎるうえに比喩的な色合いが強くなってしまう。結局、これ以上適切なことばが見つからないとあって、完全に正確とはいえないと認めながらも、彼は "呪術" ということばを使うことに決めたのだった。(『沈黙の力』) 

求心力あるドン・ファンの教えにカスタネダはのめり込んでいくんだけど、描写される、彼の呪術との距離感は私にとって大変リアルな、身に覚えのあるものだった。
しかし巻が進むにつれ修行者としてのドン・ファンの来歴が語られ、その師やそのまた師の人柄と来歴も語られ・・。これはカスタネダの物語というより、文字通り、ドン・ファンの教えを「聞く」物語なのだと思う。一個人の成果の話ではない、それは必要だが重要ではない、ということ自体が教えでもあろう。

読んだ6冊のうち5冊は真崎義博訳だが、初期四部作の最終巻である『Tales of Power』だけ別の訳者のものを読んだ(『未知の次元』)ので、真崎訳による『力の話』も読んでみたい。真崎訳のカルロス(カスタネダ)の方がキュートなのです。読み終わってしまい、これがほんとのカル「ロス」だ・・。すいません・・。