弟子のSです

武術の稽古日誌

へなちょこ亭日乗

昼過ぎ、三十七式太極拳クラブの稽古場所である、小金井市婦人会館の抽選に行く。定刻に抽選会場に集まった団体の中でくじ引きをし、番号の若い順から場所取りをしていくので、早く到着してもくじ運が悪ければ長く待たされることになる。(とは言っても古い施設で、利用する団体もさほど多くないので、順番が後になっても希望日時に場所が取れないことはまずないのがこの会館のいいところ。)

定刻になると、集まった団体数だけのプレートの載ったトレイを捧げ持った職員さんがしずしずと会場を回る。厚紙でできた小さなプレートの裏には数字が書かれていて、若い番号であれと念じつつそれをめくるのだ。

ここ数か月くじ運に恵まれず、会場に一番乗りしても退出はビリ、という不本意な「めくり」が続いたが、今日はめくってみたら「1」だった。ファストパスの如く手続きを済ませ、抽選開始から10分後には会場を後にしていた。玄関口で職員のおじさんに「おっ、トップバッターだね!」と声をかけられた。

夏日のような陽気で、葉桜の緑がまぶしい。時間が余ったので、沿線のパン屋の名店「キィニョン」「びおりーの」をはしごして帰る。

武術日和下駄

『日和下駄』は永井荷風の随筆集のタイトルである。Kindleで無料だったので何の気なしに読んだところ、その端正な文体にすっかり魅了されてしまった。長いこと「浅草に通い詰めた色好みのおじさん」ぐらいの認識でしかなかったのが、今ではその人が「風景の詩人」と謳われ、多くの人に読み継がれてきた理由がよくわかる気がする。

荷風は生涯にわたって散歩を愉しんだ人であった。『日和下駄』は大正時代の、江戸の名残をとどめる東京の風景を綴ったものだが、その中で、散歩について次のように書いている。

・・目的のない私の散歩にもし幾分でも目的らしい事があるとすれば、それは何という事なく蝙蝠傘に日和下駄を曳摺(ひきず)って行く中、電車通の裏手なぞにたまたま残っている市区改正以前の旧道に出たり、あるいは寺の多い山の手の横町の木立を仰ぎ、溝(どぶ)や堀割の上にかけてある名も知れぬ小橋を見る時なぞ、何となくそのさびれ果てた周囲の光景が私の感情に調和してしばし我にもあらず立去りがたいような心持をさせる。そういう無用な感慨に打たれるのが何より嬉しいからである。

「無用の用」である。「何もしない」をしている。

荷風のすごいところは、その散歩の「好きっぷり」が徹底しているところだ。日記『断腸亭日乗』を読むと、自宅が空襲に遭って焼け出され、東京を離れて地方の知人宅を転々としているときでさえ、部屋に落ち着くが早いか散歩に出かけてゆく。そして休むことなく日記を書く。その筆致は戦争の渦中にあるとは思えないほど「普段どおり」で、そのぶん読み手は感傷が胸に迫るのだが、「無用な感慨に打たれるのが何より嬉しい」散歩が傷心の荷風を支えていたならば、これこそが「無用の用」ではなかろうか。

さて、この「荷風の散歩」に惚れ込んだ後世のファンが、その熱意をもってどういう方向に進んでいくかだが、その方向性はおおむね次の2タイプに分けられると思う。

1 荷風の歩いた場所、彼が辿ったコースを訪ね、彼が見たのとそっくり同じ風景を見ようとする《聖地巡礼型》

2 荷風のスタイルを踏襲し、彼が散歩したのとそっくり同じ心持ちで自分も散歩しようとする《インフルエンサー型》

ファンなら両方したくなるのも頷けるが、大体はどちらかに比重が偏るものだと思う。1に傾くほどわかりやすくファンらしいというかマニアックというか、荷風その人への愛着が強く感じられる。トリビアに詳しいのもきっと1だろう。

2は一見するとファンらしさにやや薄い。理解への渇望が強いというか、どちらかというと観察者、研究者、実践者という感じだ。2は必ずしも荷風の歩いた墨東や浅草を訪ねないだろう。「荷風がそうしたように」自分の市中散歩を楽しみ、自分の見つけた裏通りを愛するだろう。その考え方と出合ったことで、自身の情緒や生き方そのものが影響をうけ、「その考え方を知らなければ、なれなかった自分」になる。2の態度を進めていくと、外形的には荷風と似ても似つかぬ人になっておかしくないのだが、その血肉には確かに荷風がいるのである。これは1において主客(好かれる側と好く側)が分離しているのと好対照である。

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荷風は散歩し、寂れた風景を飽かず眺めた。気に入った店があると通い倒した。燃えさかる家から日記の原稿だけ持って逃げた。日常を守ろうとする営為の、どんなエピソードも彼らしい。ストイックで享楽的。人真似がない。彼らしさを愛するということは、私が「私らしさとは何か?」と自分に問い、それを大切にするということだと思う。それは武術から問われることと全く同じだ。

時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと氣遣ひながら崖道づたひ谷町の横町に行き葱醤油など買うて歸る折など、何とも言へぬ思のすることあり。哀愁の美感に酔ふことあり。此の如き心の自由空想の自由のみはいかに暴惡なる政府の権力とても之を束縛すること能はず。人の命のあるかぎり自由は滅びざるなり。(『断腸亭日乗』昭和16年1月1日の日記)

荷風は、戦争が終わっても「終戦」とは言わず「休戦」という言葉を使い続け、全財産を入れたバッグを常に持ち歩いていたそうだ。平和の裏には紙一枚隔てて戦争がある、と体で知っていた。戦争が人にもたらすインパクトを思わずにはいられない。

年末所感、2021年

稽古場確保の必要から立ち上げた「小金井三十七式太極拳クラブ」の参加者が少しずつ増え、先日、にぎにぎしく稽古納めをすることができた。稽古相手になっていただいた皆様、今年一年ありがとうございました。

活動の告知にTwitterを利用しているが、連絡とリツイートだけでも殺風景なので、先日から鄭子太極拳套路37式を図解にして順次アップしはじめた。内容は創始者である鄭曼青の著作(前回の記事で紹介したペーパーバック)を底本にしている。その本には鄭曼青の套路の動作写真が40葉も載っているので、トレースして師のそれと付き合わせ、修整して師の動作に近いものにして説明文を加えている。創始者と師とで動きに大きな違いがあることは少ない(*)が、修整に一定の傾向があることがわかり、創始者との微妙な違いが、つまり師の武術の特徴というものがわかって面白い。
(*:鄭曼青によるテキストを師がおそらく一度も開いたことがないことを考えると、オリジナルとの整合性にむしろ感心してしまう。)

それにしても套路というものは、初日に習う基本中の基本でありながら、何年やっても上手くできないものはできないし、やればやるだけ発見があるものだ。
「三十七式太極拳クラブ」の前身である小金井市主催の太極拳講座に通い始めた頃、先輩の主婦さんに「ちゃんとできるようになるには10年かかるんですって」と言われ、(ええっ…)と驚いたことを懐かしく思い出すが、それから夢のように10年余が過ぎたけれど、「ちゃんとできる」にはいまだ遠い気がする。
まあ達成度はともかく、套路という型稽古を初日から気に入り、10年経っても全く飽きないのだから、「型」とは強靭なものだと思う。

武術漫画『拳児』で紹介されている尚雲祥という人も、基本の技だけを年単位で稽古し続けた人だ。漫画によると次のようなエピソードが残っている。

中国の河北省に尚雲祥という人がいた。彼は拳法を習いたくて、当時有名だった形意拳の李存義という人の門を叩いた。
弟子になったはいいが、尚雲祥は極端に不器用な人であった。師父はそんな彼を見て、動作の最も簡単な崩拳(ぽんけん・形意拳の突き技)だけを彼に稽古させた。
有名な武術家であった李存義は、やがて各地に招かれて弟子たちの元を離れてしまう。仕方なく、雲祥は毎日毎日、明けても暮れても崩拳の稽古を続けた。仕事の行き帰りも用事の行き帰りも、崩拳を練習しながら通った。
三年の歳月が過ぎ師父が帰ってくると、弟子たちは歓迎会を開き、師父不在中の成果を見せるべくこぞって表演を始めた。しかし雲祥だけは顔を赤らめ「私はまだ基本を一つしか知りませんので、表演するようなものはありません」。
三年もやっていて!?と仲間に嘲笑される雲祥に、師父は「やってみるがよい」と崩拳の表演をうながす。仲間の見守る円陣の中心におずおずと進み出た雲祥だが、表演の始まりと同時に表情が一変する。いわゆる「我執」を去った、武術に没入した顔になる。彼の突き技を見届け、師父は「よくぞこれまで…。尚雲祥、拳訣を極めたな」と弟子の功夫に目を細めるのだった。

このエピソードで私の印象に残るのは、武術に身を預けた瞬間の尚雲祥の精神状態の変化、「没入」である。
表演前の「没入」していない雲祥は、自分で自分を価値判断する者だ。「私はまだ基本を一つしか知りませんので、表演するようなものはありません」とは謙遜でなく、彼の本心だったはずだ。そういう意味では、雲祥を嘲笑う仲間や兄弟子と同様、彼自身も自分を見くびっている。

それが、武術からの要求(あるいは「やってみなさい」という師の要求)にただ応えようとしたとき、もろもろの囚われがパラリと剥がれて落ちる。剥がれて落ちて、「真の自分」があらわれる。それは「武術」と同義であり、ヘッセの名著を引くならば、「つまりね、ぼくたちの心のなかには、だれかがいて、そのだれかが、なんでも知っているし、なんでもしようと思うし、なんでもぼくたち自身より、じょうずにやってしまうんだ(『デミアン』実吉捷郎訳)」ということになるのである。
結果の巧拙や人との優劣はどうあれ、その静謐な精神状態こそが、稽古を通して得られる一番尊いものではないだろうか。その時点での自分になし得る最高のパフォーマンスをさせていただく、という。そのパフォーマンスを支えているのもまた稽古だろう。

愚直に基本を稽古し続けたことで今に伝わる雲祥だが、頑張り抜いてそうしたというより、(それは克己した日もあったろうが)やはり崩拳が奥の深い技術で、稽古が面白かったのだろうと思う。傍からは地味に見えても、基本型を繰り返すというのは、鉱脈ではないが、掘るほどにその中にあるものが少しずつ見えてきて、実はわりとカラフルな作業なのである。私には師のような「解読力」は到底ないけれども、型は解読されるのを待つ暗号のようにも思われる。
先人の遺した手がかりから「ああ、こういう事なのか」と得心するのは、一人でしていてもなんとなく対話的な経験である。私の場合は師の指導を受けながらだから一人稽古とは言えないが、師などは本当に一人で鉱脈をひたすら掘ってるイメージがある。

縁あって三十七式太極拳に出合った人が、套路を一生の友達にできますように。

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2021年はその後半に、BTSのジミンという人を知って衝撃を受けた。両性具有的で浮遊感のある彼のダンスにインスパイアされながら、来たる2022年、私も「見場の良い動き」というものをますます追求していきたい。ちなみに『デミアン』はリーダーのナムジュンの愛読書でもあり、BTSにはデミアンにちなんだ『WINGS』というアルバムがあります。ではよいお年を。