弟子のSです

武術の稽古日誌

稽古メモ

腸腰筋を使った片足回しが課題。車輪を漕ぐように縦に回す・横に8の字を描くように回す。

どちらも軸足でコントロールすること。片足立ちが安定しないうちは何かにつかまってする。

推手や組手で次に何をすればいいかは相手の動きから判断するが、手で急いで迎撃したり遮ったりしないこと。ナチュラルスピードで手が間に合わない時は体で受ける。先日は手による攻撃を手を使わずに受ける稽古をした。考えれば単鞭も斜飛勢も相手に接する肩の位置が重要なように、位置が正しければ肩でも守れるし攻めることができる(ことを師が見せてくれた)。

先日の記事で極め技を二十四手挙げたが、その後に教わったもの。

・足でかけるフルネルソン

・ヒールホールド(内旋と外旋の2パターン?)

ガードポジションからの三角絞め

服の襟元や帯など、布を使って締める方法も子供空手の時間に稽古した。理由はわからないが、手でじかに締めるよりそっちの方がぐっと締まる。

技を習っていると敵を斃したいという先人の悲願が伝わってくるようだ。師がこないだ別の話題で「人間の弱さがいとしい」と仰っていたけれど、私は極め技を学んでいるときにそういう気持ちになる。

瀬尾さんによると、実戦で「男は最終的にはタックルしてきます」。そうなのか。そしたら、つかまえられて嫌立ちしなければいきおいグラウンドの攻防になるんだよね。そこで終わらずに展開していくためにも、やはり極め技は大切だ。

調和の推手の先には、水面のきらめく反射のような、瞬間的にくっついて離れる攻防や、水底を渦巻く濁流のような圧をかけあっての激しい推手もある。

調和の推手・・敵意のない相手と通じ合う稽古としての推手はなんとかこなせるようになったが、殴る蹴る・ひいては殺すという敵意の相手と対峙する稽古をこれからしていくのだ。どんな嫌な相手とも、ナチュラルスピードで、踊るように愛するように、相手が嫌気がさすまで「千日手」をつくり続けられること。

たとえば相手の眼前でくるりとターンするのも、踊りでするのとバックをとられる危険を冒しながらするのとでは大違いだ・・・。

心に残った出来事。

金曜日の幼児空手の組手で、自分の仲良しを応援している子がいた。「Kがんばれ、Kがんばれ」。私の傍にいたその子に「でも(相手の)Rくんは一つ歳下でお稽古始めたのもずっと後なんだよ。普通にしてたらKくんが勝つよ」と言うと、彼は「そうか・・」と少し黙った。それから「両方がんばれ、両方がんばれ」。

彼の素直さに(まだまだ日本は大丈夫だ!)と心打たれたのと、あと、子供には自分で考えさせるような言葉かけをすると学んだことだった。もしあの時「片方だけ応援しちゃダメだよ」と紋切り型に注意していたら、たぶん伝わらなかっただろう。技術とか手順って本当に大事だな。