弟子のSです

武術の稽古日誌

稽古メモ(俳句編)

4月から俳句を始めて半年経った。
当初はイージーな気分で臨んでいたが、師に取り組み方から厳しく指導され、一方であれこれと良い句を紹介されたことが導火線となって興味に火がつき、気がついたらすっかりはまっていた。

子供空手で師が「型は覚えて終わりじゃない。青帯には青帯の、茶帯には茶帯の型のやり方があるよ」と生徒を諭していたけれど、俳句も同じで、よくできた句は一読しても印象に残るが、体験や知識を重ねてこちらの鑑賞眼が上がることで新たな発見と味わいがある。
俳句そのものの歴史や文化的背景、句ごとの背景や作者の境涯など、知れば知るほど世界が広がるのでいきおいのめり込む事となる。こういう時の努力はほぼ娯楽だ。

ただ、稽古の一環として作句しろと言われた目的は「対象をよく見る」ことなので、いくら勉強が面白くても、そこを忘れてはいけないとも自戒している。同じ俳句への取り組みでも、興味の対象としての側面と、稽古としての側面とは分けて考えないとだ。

稽古としての側面とは
・よく見る。
・「俳(ぶらぶらする)」を実践する。
・習作と添削を通して師の考え方を知る。
・社交術としての作句(連句)。

稽古という性質上、私には句会はいつも少し緊張する場だけれど、プライベートで興味を同じくする人と俳句談義をしていると時を忘れる。俳句を通して新たに深まる人間関係があるのはありがたい副産物だ。

よくできた17文字は日本語の至宝と思うので、自作の句も含めて素晴らしい表現に出会うべく、興味のほとばしるまま進んでゆく所存です。